高塔山と石峰山
2004 11 6


天気の良い土曜日。家にじっとしているのも
もったいないので、ぶらり若松を決め込みました。
地元。北九州市若松区。
街をぶらぶらした後は、区内にそびえる
低山へ向かいました。

青い空に映える旧古河鉱業若松ビ
ル。大正8年建築。レンガ造り二階建
て。若松のシンボルです。
若松のえびす神社。今日から、七・五・三
可愛い子供達が訪れてました。
市街地から見上げる。高塔山。
標高は120メートルしかなく。楽
勝です。
何本もある道の中から。
正面登山口。車道が頂上ま
で続いているのですが、その
横の白山神社の階段を登り
ます。
階段の数は数えていませんが、
かなりの数です。
大雪と二人。息を弾ませながら
駆け上がります。
日本中いたる所にある白山神社

白山神社の祭神は菊理姫(くくりひ
め)と言い。伊弉諾尊(いざなぎの
みこと)の生還に何らかの貢献を
したらしいのですが、それ以外の事
積が全く伝わっていない「埋没神」
の一人です。
もうほとんど、頂上へは車を使っていますが、
素晴らしい山古道が続いています。
頂上展望台からの眺め。若戸大橋。
日本で最初の近代吊り橋。
レインボーブリッジも大鳴門大橋も
吊り橋は、この橋が元祖です。
カッパ封じ地蔵。 若松区の高塔山の頂上には、カッパ地蔵とよばれる、変わったお地蔵様がいます。昔、この地方は池や川が多かったせいか、たくさんのカッパが住み着いていました。数が多いだけにナワ張り争いがたえず、田畑はあれほうだい。人々はこまっていました。

 ある年のこと、一滴も雨が降らず、日照りが何日も続きました。池や川の水がだんだん干あがってきて、あわてたのはカッパたちです。残されたたった一ヶ所の水、高塔山の池の水をあらそって、大戦争をはじめました。

 このうわさをきいて、若松にやってきたのが堂丸総学という山伏。高塔山の頂上にたどりつき、お地蔵様をひとつ見つけると、すぐにふもとに引き返しました。村のかじ屋で1尺あまりの大きなクギをつくらせ、その日から熱心なお祈りをつづけました。

 カッパたちがじゃまするのも何のその、総学がお祈りをつづけていたある日、お地蔵様の背)にたった一ヵ所だけ、指でおせば石がへこむ場所があるではありませんか。総学は、その場所に気合もろとも大クギを打ち込むと、なんとカッパたちのすがたがすべて消えてなくなってしまいました。総学とお地蔵様のおかげで、その後村人たちは幸せにくらせるようになったということです。若松の夏祭りでは、今でもこのカッパ地蔵を祭るカッパ祭りが盛大に行われています。
地蔵堂と高塔山頂上展望台。春には桜。梅雨時は紫陽花が見事に咲きます。
高塔山から石峰山頂上までは、気持ち良い稜線歩き。
しかし、両側の林の中は、猪などの狩猟用のワナが
仕掛けてあり、とても危険です。
石峰山と言うだけあって、
頂上付近は石がごろごろ
していました。
標高302メートル。
今日は楽に楽しく登れました。
ただ今日は10月中旬の陽気、大雪共々
暑かったです。


頂上でくつろぐ大雪。



頂上からの眺望。
あいにくのガスですが!
遠くに新3大夜景の皿倉山に帆柱山。
手前の工場地帯は有名な八幡製鉄所です。





低山とはいえ、なかなか楽しめました。
身近な場所も再発見です。